【戦記】 ジャワ攻略戦とガダルカナル玉砕戦
ジャワ攻略戦とガダルカナル玉砕戦
著者代表:木村竹治
共栄書房
古書店で購入した一冊です。
[amazonjs asin=”B000J7JG8Q” locale=”JP” title=”ジャワ攻略戦とガダルカナル玉砕戦―大東亜戦争秘録 (1982年)”]
大東亜戦争(太平洋戦争)の主に南方作戦を回顧したものになります
著者は当時第2師団野砲大2連隊第2大隊長 の木村竹治氏と
同じく第2師団野砲大2連隊第3中隊の庭野静三氏です
開戦時ジャワ島攻略に投入された第2師団はその後、ガダルカナル島の戦いに転進します。
“餓島”と呼ばれたガダルカナル島から生還された方の回顧録には
実際に体験されたからこそわかることが生生しく書かれています
食料事情は日一日と極度に深刻化していった。数名の将兵は、0.2リットルほどの米に多量の水をいれて粥にし、一さじずつ平等にすすり合った。
いよいよ文字通りの命の助け合い、命の伸ばし合いであった。共に生き抜こうとする姿でもあった。
ガダルカナル島飛行場奪回のための総攻撃が失敗し、師団は撤退を開始します。しかしその頃にはすでに食料は尽きはじめ、飢餓と疫病そして米軍の追撃を同時に受けることになるのです。
海岸道の林の中には、日本軍の死体が転々と転がっていた。みんな悪臭を放っていた。これらの人々は撤退の意思に燃えながら、天命尽き果ててここで永眠したのだと思われた。
林の中の枯枝に、水筒や飯盒などがぶら下がっていた。その下に幾多の遺体が無造作に散在していたところもあった。まことに気の毒であった。
必死の思いで海岸沿いに後退しても安全ではありませんでした。敵航空機や艦船が頻繁に接触してくるからです。僅かな隙をみて侵入した味方駆逐艦によって残存将兵は救出されます。
本の中ではガナルカナル島に上陸した人員は10,318人。そのうち収容に成功したのは2,647人と記載されています。
撤退者は全体の約25%に留まります。残りの75%はガナルカナル島で亡くなってしまっているのです。
著者はこう振り返ります。
ガ島の戦いは、敵に対するよりもさらに困難な飢餓と疫病に対する戦いであった。
私はもちろん戦争には反対です。そんなの起こらなければいいに決まっています。
しかし嫌いだからこそ、悲惨だからこそ戦争の実情を知っておかなければとも思います。
2度と戦争を繰り返さないためにも
そいういった意味でこの書籍を紹介しました。
もし手にとる機会があれば読んでみてはいかがでしょうか?